言葉の解像度のお話

こんにちは、おかえりです。

 

昨日、2018年6月8日(金)に渋谷WWWで行われた、

TMO SESSIONS _ TOKYO MUSIC ODYSSEY 2018」に行ってきました。

tokyomusicodyssey.jp

 

第二部での、落合陽一 × ケンモチヒデフミ (水曜日のカンパネラ) × ぼくのりりっくのぼうよみ の「都市と音楽の未来」についてのトークセッションがお目当てでした。

 

それぞれ違う切り口で、「表現」をしている人たち、ということで、

話の内容も特に興味深く、面白いものでした。

 

そのトークの中で一番印象に残った話が、落合さんがした「言葉の解像度」についてのお話しです。

 

「僕はバナナを食べた。」

 

例えば、上記の文。

分解してみると、

僕は:男なのかもしれない、もしかしたら女の子かもしれない

バナナ:若いバナナか、熟したバナナか、もしかしたら人によって見える色も違うかもしれない

食べた:どうやって?そのまま皮を剥いたのか、輪切りにしたのか、つぶしたのかもしれない

全然、人によって意味のとらえ方が違う=具体性がない=解像度が低い。

 

「言葉の解像度」という考え方は、日常的に考えやすいなあと思いました。

 

私は、会社のサービスを利用しているユーザー様と、コミュニケーションを取るお仕事をしていますが、言葉の解像度が高ければ高いほど、良い案内ができます。

 

一つの操作にしても、私の思っている「わからない」とユーザー様が感じている「わからない」が食い違っている時がよくあるんです。

一緒にその場にいて、視覚で確認できればそんなこと起きないかもしれませんが、電話やメールだと、言葉で伝えなくてはならないから起こってしまう。

言葉の解像度が低いまま、案内を進めてしまうと結果的にユーザー様の問題点は解決せず、不満につながってしまいます。

 

より具体的に、細かいところまで確認していく作業が必要になってきます。

その時に、言葉の解像度を意識して案内できたら、もっとユーザー様とのコミュニケーションが上手になるだろうなと改めて感じました。

 

 

逆に、音楽や物語は言葉の解像度が低ければ低いほど、私は好むと感じます。

ぼくりりくんも言っていたのですが、伏線はたくさんはるけど、最後には曖昧にして、その人の感じ方にゆだねる音楽や、物語の方がその人に響きやすい。

 

音楽を聴いていると、特に「あれ、これって自分のための曲じゃないか、自分のために作ってくれたのかな」とまるで自分の経験そのものを表している!!!と思う曲がよくあります。

 

それって、言葉の解像度が低く、曖昧な表現だからこそ、自分の解釈にしやすい、当てはめやすいんですよね。

そして感情移入がしやすく、心に響く。

 

私の話す言葉の「解像度」は低いんですが、結構意識しているというか、小さいころからそういった音楽や物語を好んできたので、言葉を曖昧にして話すという癖がついてしまっているんだなあと、落合さんのお話を聞いてはっとしました。

 

解像度を使い分けるのが大事なんですね。

コミュニケーションを取るとき、

何かを説明したいときには言葉の解像度を高くする、

共感したかったら言葉の解像度を低くする。

 

話のうまい人は「言葉の解像度」の使い分けがうまいと、今回のトークセッションを聞いて実感したのと同時に、もっと自分が成長するために、言葉の解像度を意識して話すようにしよう、と思いました。

 

※早速、このブログを書いていて、反省しています。。。(笑)

 

 それではまた!